
桑(Mulberry)はクワ科クワ属の落葉広葉樹で、日本では2000年以上前から栽培されていたと言われています。
特に養蚕で利用されることが多いため歴史的には蚕と切っても知れない関係にはありますが、海外では桑の実(マルベリー)も一般的な果実として食されている等、桑そのものも非常に魅力があふれる植物です。


桑の木
桑の木はとても強い植物で、どれだけ低く切っても根が生きていれば翌年には力強く枝葉を伸ばすほどの生命力にあふれています。
その枝は一年で3メートル以上も成長することもあり、道端の桑の木はあっという間に道の上にまで枝が伸びて、地面を桑の実で真っ黒に染めてしまいます。
桑の枝は、土間が一般的であった日本家屋でのかまどの燃し木やお風呂を沸かすための薪として利用されてきました。
また、桑の幹は家具や建材、茶道具の材料としても重宝され、桑の木で作った箸は不老長寿の縁起物として贈り物にもされています。
桑の葉
桑の葉は蚕のエサとして有名ですが、実は栄養成分も豊富でカルシウムや鉄分、亜鉛が豊富に含まれています。
そのため、葉を煮出したものや抹茶のようにパウダー状にしたものをお茶として飲むことで栄養をそのまま摂取することが好まれており、さらにカフェインが含まれていないことから妊婦や子供でも気にせずに飲むことができます。
そもそも桑の葉は蚕以外の昆虫からの食害が少ないことで知られていますが、これは桑の葉に含まれる成分が糖の吸収を抑制するためで、自然界ではあまり好まれない植物であると言えます。
ところが、その成分が私たち人間が摂取する際にはメリットとして捉えられ、注目されいます。
また、蚕のエサであった経緯から殺虫剤や除草剤を使用せずに栽培されているため、その点でも魅力的な素材と言われています。


桑の実
桑の実は海外では「Mulberry(マルベリー)」と呼ばれ、アントシアニンやレスベラトロールといったポリフェノールやビタミンCを豊富に含んだ果実として世界中で食べられています。
これらのポリフェノールは抗酸化作用があることも知られていますが、桑の実の特徴である黒々とした色素のもとになっています。
山梨でも、子どもの頃に学校の帰り道で桑の実を食べて、口の周りや洋服を桑の実の色に染めて怒られたというエピソードは度々話題に上がります。
また、童謡「赤とんぼ」の歌詞の中でも「山の畑の桑の実を 小篭に摘んだはまぼろしか」と歌われるほど、かつては身近な存在であったことがうかがわれます。
桑の歴史
桑の木は、クワ科の落葉樹で、大昔からカイコの餌として養蚕に利用されてきました。
養蚕の歴史は古く、中国では5,000年前にはすでに行われていた記録があるので、桑の栽培についてもそのころから行われていたと考えられます。
また桑の木には生薬としての側面もあり、約2000年前の中国最古の本草書である「神農本草経」には、桑の根皮を原材料とした漢方薬「桑根白皮(そうこんはくひ)」が滋養強壮の薬として記述されています。
一方で、日本には弥生時代には養蚕技術が伝来しており、桑についてもその頃から栽培されていました。
『魏志倭人伝』には卑弥呼が魏の皇帝に絹織物を献上したことが書かれていたり、『日本書紀』では当時の天皇が桑摘みと養蚕を推奨したという記載もみられます。
養蚕によって得られた絹織物は古くから農家の重要な収入源で、日本の近代化の過程においても主要産業として位置付けられていました。
特に昭和時代の中期には海外への輸出によって日本経済を支えるほどで、最盛期には国内の農家の40%近くが養蚕にたずさわり、山間部にあって畑作に適さない土地の多かった山梨では見渡す限りの桑畑が広がっていました。ですが、海外からのシルクの輸入が増えたことで養蚕農家は徐々に減っていき、桑の畑は次第に桃やブドウといった果樹園や、住宅街へと姿を変えていきました。
それでも一面に広がっていた桑畑の名残は色々な場所に残っています。


桑の神様
人々の生活に寄り添って紡がれてきた蚕や桑、養蚕文化の長い歴史には様々な神様がかかわってきました。
当時の人々が生きていくなかで大切にしていたものや、困っていたこと、感謝していた気持ちが垣間見ることができるようでとても興味深い文化ですね。
日本書紀に、「ワクムスビノミコト(稚産霊命)は、土の神ハニヤマヒメ(埴山媛)と火の神カグツチ(軻遇突智)の間に生まれた神だが、出産の際にワクムスビの頭の上に蚕と桑が、臍(へそ)の中に五穀が生じた」と、いう記載があります。
大陸から伝来してきた養蚕の始まりが主食である五穀と並んで神様からの贈り物として登場するから、当時の人々が養蚕をそれだけ重要なものとして捉えていたことが垣間見えます。
県内の神社の境内では蚕影(こかげ)という文字が刻まれた碑が多くみられます。
これは養蚕の守護神として古くからまつられている女神様です。
日本の神様は海外の神様がいくつも集合していることが多いですが、インドにルーツを持つ金色姫伝説を下敷きにしたものが有名です。
また、甲斐善光寺には蚕神ともよばれる養蚕や機織の尊神、正式には人々に衣服を与える馬鳴菩薩が蚕児(さんじ)菩薩としてまつられています。
また、蚕の大敵である鼠から蚕を守る存在として猫や蛇、ムカデが神様としてまつられているケースもあります。
養蚕にかかわる人たちが蚕の守り神としてそうした動物を大事にしていたというのも、単なる神頼みではない日々の暮らしと紐づいた文化の名残を今に残しています。